俺は20歳の浪人生。目指している難関大学にどうしても行きたくてチャレンジしているが、2回失敗して、今年は背水の陣だ。
数学はわりと好きで得意なほうだが、苦手なのは英語。英単語は無理してたくさん覚えるのだが、長文読解になると、訳が分からなくなる。
予備校にも行っていたが、自分のペースで勉強したくて、半年前から行かなくなっていた。代わりに、近所に翻訳の仕事をしている40前のおばさんがいて、前から家ぐるみの付き合いがあるので、その人に、分からないところが出てくると、教えてもらいに行っていた。
英語が苦手な割りに、洋楽が好きな俺は、好きな歌手の歌の歌詞をその人に訳してもらったりもしたが、さすがは本職、絶妙な感じで訳してくれた。
その人の名前は「弘子さん」といって、39歳。独身で病気の年老いたお母さんと2人暮らしだった。そのお母さんとうちの亡くなった婆ちゃんが仲が良かったということで、前から家ぐるみのつきあいがあったというわけだ。
弘子さんは、うちの母親より10歳ぐらい若く、俺からしたら「おばさん」と「お姉さん」の中間みたいなところに位置していた感じだったが、結婚していないだけに、年より若く見える雰囲気はあった。ただし、AVとか漫画に描かれるような「憧れのお姉さん」という感じではなく、普通の地味などこにでもいるというような女の人だった。
英語の分からないところを聞いたりするときは、弘子さんの家に行って、玄関わきの部屋にあげてもらって聞くというパターンだった。廊下を挟んで反対側の部屋に弘子さんのお母さんが寝ていたし、昔からの知り合いということで、俺が上がり込んでも周囲から不審に思われる心配も無かった。
その、弘子さんとの”なんでもない”関係に微妙な変化が現れたのは、しばらく前に、英語を教えてもらっていたときに、東京オリンピックの話題になり、各国の選手同士は気軽にセックスするみたいな話になったときだった。俺はそれまで弘子さんのことをエッチな目で見たことはなかった。自分の母親に対してそういう思いを抱かないのと同じような感覚だった。だから、そういう話題も意識することなく話せたはずだった。
しかし、その時、自分の中の心のチューニングが狂ったというか、なぜだか分からないが、弘子さんのことを女として見てしまったのだった。
弘子さんは、普通に、「選手村ではコンドームが配られるみたいだし」なんてことを口にした。俺は急にドギマギして、適当に「やっぱ、アスリートって、セックスもスポーツみたいな感覚なんでしょうね」と返した。
その日の夜、俺は初めて弘子さんのことを想ってオナニーした。罪悪感とか抵抗感は確かにあったが、それを乗り越えると、新鮮な興奮があった。
次の日も、その次の日も、弘子さんでシコった。興奮が増していった。妄想の中で、弘子さんを縛ったり、バイブで責めたり、強制オナニーさせたり、友人数人で輪姦した。ザーメンがたくさん出た。
その後、英語を教えてもらいに行ったとき、ドキドキした。弘子さんの目が直視できなかった。問題を解いてもらっている間、弘子さんのカラダをチラチラ見た。花柄のブラウス越しに、どんな裸なんだろうと想像した。そして帰宅後、弘子さんを想ってシコシコした。
それからは、もう、弘子さんに会いたくて勉強を口実に家に行った。

朝から雨が降りやまない日だった。電話して家に行くと、弘子さんが出てきた。ノースリーブのシャツを着ていて、白くむっちりした二の腕がまぶしかった。玄関にすとんと降りてきた時に、胸のふくらみがブルンと揺れた。俺はその瞬間、きょうは特別な日になりそうな予感がした。
いつもの部屋で長文読解を教わる。いつもはテーブルを挟んで向かい合うのに、その日、弘子さんは俺の横に来た。5分とたたないうちに、俺と弘子さんは男と女になっていた。
遠慮がちなキスが奪い合うキスになったとき、俺が、「お母さんに知られちゃいますよ」と言うと、弘子さんは「昨日からショートステイに行ってるから」と。その時、弘子さんがいつもより入念に化粧していることに気づいた。
床に弘子さんを押し倒し、シャツをたくし上げ、ブラをずらせて、おっぱいにしゃぶりついた。大き目の乳首は最初から固くなっていた。
何をしても、どうしても感じる弘子さん。俺は、英語を教えてもらっていた、ただの近所の女性に過ぎなかった弘子さんのおっぱいを舐めているということを意識し、めまいを覚えた。
さらに、弘子さんのショーツをはぎ取って、最初から湿っていたオマンコを舐めた。石鹸の香りがした。舐めながら、「こんなことしたいって思いながらオナニーしてました」と正直に告白した。「私も」と弘子さんは恥ずかしそうに喘いだ。
その日は夕方まで4時間ほど居座って弘子さんとセックスしまくった。
今、弘子さんが彼女みたいになっている。人生って予期しないことが起こるんだな。