小学校の教員をしている34歳の独身男です。
昨今、小学校をはじめとした学校の教員の不祥事が相次いで報道されていて、心を痛めています。
特に、未成年の生徒、児童に対する性的なハラスメントを行う教員が多いことは、由々しき事態だと思っています。
そうした、未成年の女子に性的な欲求を抱くような者は、本来、教員になってはいけないと個人的に思っています。
そう言う私は、天地神明に誓って、未成年の女子、特に、受け持つ児童たちに対してもそういう欲求を抱いたことは無いと断言しておきたいと思います。
しかしながら、私も人間です。オスです。偉そうなことを言っておきながら、生理的欲求はどうしてもわいてきますし、不慮の事態は出来します。
そんなことを痛感させられた出来事について、書いてみたいと思います。

昨年のことです。私は低学年を受け持っていました。春の遠足地として、今まで行ったことのない場所が候補地としてあがりました。学校から子どもの足で、2時間ほどで登れる、「電波塔の山」というところでした。
学校の校庭から望むことができるその山は、標高が500メートル程度の小高い山で、電波塔が立つ頂上からは、町全体が見渡せるとのことでした。
一度、実地検分に行こうということで、土曜日の午後、私と、別クラスの担任の40過ぎの美紀先生と、教員になって2年目の加奈先生の3人で行くことになりました。
しかし、前日になって、祖母様が亡くなられたとのことで、美紀先生が急きょ、行けなくなりました。
日程変更もありと思ったのですが、なかなか調整がつかず、やむなく、私と加奈先生の二人だけで行くことになったのでした。

そもそも、教員の世界は、「男男した」先生も「女女した」先生も少ないです。だんだん、中性化していくと言われています。ゆえに、僕自身、同僚の先生を女として見たことはほとんどなかったし、女の先生も同様なのではないでしょうか。
その日も、若い加奈先生と2人きりで山に登ることにはなりましたが、お互いに違和感なく出発しました。

標高500メートル程度ということで甘く見ていました。僕は学生時代、富士山に登ったこともありますし、1000メートル以上の山もたまにトレッキングで遊びに行っていたこともあったからです。
しかし、児童の歩測、スピードを考えながら歩くと、なかなか難儀でした。
加奈先生は、とても明るく気さくな先生で、消費者金融の「プロ×ス」のCMに出て来る岡本玲というタレントに似ている、かわいい人です。
お互いに冗談を飛ばして笑い合いながら山道を登り、危険な場所、急こう配になっているところをチェックしました。
山の登り口からスタートして1時間ほどが立ったころ、うっそうとした森の木立の間から、街並みが見えました。小さなパノラマのような光景です。
「あともう少しだ」。僕が加奈先生のほうを見ると、加奈先生は、青白い顔をしていました。
「だいじょうぶ? 疲れた?」。僕が訊くと、加奈先生は「いえ」とうつむきました。
「どした?」。顔を覗き込むと、加奈先生はもじもじしながら、「ちょっと、お手洗い」と言います。
全てを察した僕は、「お手洗いはここには無いから、どっかそのへんで……」と、山道からはずれた草むらを指さしました。
加奈先生は恥ずかしそうに頷くと、小走りでその草むらのほうに行きました。

僕はいったん、加奈先生が行った方向に背を向け、午後の日差しが差し込む木々の間に視線を移したのですが、「魔がさした」というのはそういう時のことを言うのでしょう。
すぐにきびすを返して、加奈先生の姿を目で追いました。
加奈先生は50メートルほど先の草むらの辺りに行ったところで、すっと消えました。しゃがんだのです。
歩き続けて早打ちしていた鼓動が、別の理由により、さらに早くなりました。

僕は、1メートルでも加奈先生に近づきたいと歩みを始めました。なるべく草や木が生えていない土の部分を、音をたてないように歩きながら。
20メートルほど近づいたでしょうか。その瞬間、すっと加奈先生の上半身が草むらから現れました。その時、上半身のみならず、その下の白く丸いお尻まで見えたのです。
思わず僕の口から吐息が漏れました。

僕はばれないように、大股で後ずさりしながら加奈先生から離れていきました。
元の山道あたりに戻ったあたりで、加奈先生がこちらのほうを向いて歩き始めました。

「お待たせしました」
加奈先生は顔を赤くして、恥ずかしそうに言いました。時間からすると、加奈先生がしたのは「小」のほうだと思いますが、男の教員と2人だけで山に出かけて、途中でもよおして「野ション」する、これは、年を食ったおばさんならいざ知らず、弱冠24歳程度の若い子なら恥ずかしかったに違いありません。
僕は、加奈先生の気持ちを察して、何事もなかったように頂上に向かって歩き始めました。
しかし、心臓はドキドキでした。そして、それまで、ただの同僚だった加奈先生が、やけに生々しい存在として僕の前に立ちはだかってきたのでした。

頂上につき、電波塔の台座にのぼって街を眺めました。「絶景」という表現が、陳腐ですが、ぴったりだと思いました。自分たちが暮らしている街を、このように俯瞰できるというのは、子どもたちにとって新鮮だろうし、思い出に残るだろうと思いました。
「最高ですね」。加奈先生にそう言うと、加奈先生は「遠足、ここにしましょうよ。絶対、いいです」と言いました。
その時、今度は僕のほうももよおしてきました。「ちょっと失礼します」。僕は電波塔の台座を飛び降りると、近くの草むらまで移動しました。加奈先生が立っていたところから10メートルちょっとだったと思います。
加奈先生に背を向け、イチモツをズボンから出すと、何かの植物の特大の葉っぱに向けて放尿しました。ジョバジョバジョバ、と、自分でも恥ずかしいぐらいの音がしました。加奈先生にも聞こえたはずです。
し終えた僕は、ファスナーを上げ、ウエストバッグから濡れティッシュを取り出し、手を拭きました。
降りるときは、昇る時に比べて、お互いに口数は少なかったと思います。

下山後、解散の予定でしたが、名残惜しくなって、加奈先生を食事に誘うと「OK」でした。
僕の中では、あの草むら越しに瞬間的に見えた、加奈先生の白く丸いお尻が目に焼き付いて離れませんでした。
学区とは違う地域の居酒屋に入り、食事しました。最初は、学年の子たちの情報、今後の学校運営の在り方みたいな、堅苦しい話だったんですが、酒が進んでくると、だんだんとくだけた話になっていき、学生時代の「武勇伝」や恋愛話になっていきました。
加奈先生は国立大の教育学部卒ですが、大学の地元のテレビに出たり、ラジオのリポーターみたいなこともアルバイトでしていたとのことでした。
僕の中ではますます、加奈先生が特別な存在としてそびえ立っていきました。

酔いに任せて、加奈先生を僕の一人住まいのマンションに連れて行きました。
玄関のドアを閉めて抱きしめると、加奈先生のほうからキスを求めてきました。
「好きだった」。僕が加奈先生に言うと、加奈先生も「私も」と声を震わせて言いました。実際は僕が加奈先生を意識したのは、山の中で先生のお尻を見た瞬間からだったのですが。
玄関内でキスしながら、加奈先生のスカートの中に入れた手を、ショーツの中にもこじ入れると、意外に毛深いしげみ。それをずうずうしくかき分け、マン肉を攻めました。
肉厚の割れ目はジュブジュブでした。そこをかき回すようにしながら、「さっき、山の草むらで、ここからおしっこしたの?」と訊くと、加奈先生は「やだぁ~」と悲鳴のような声をあげて崩れ落ちそうになりました。
中指でひたすら膣の中を蹂躙してやると、加奈先生は我を忘れた感じで唇を求めてきます。さらには、僕の固くなった股間をさするので、僕がファスナーを下ろして肉棒をつかみ出すと、加奈先生はそれに手を伸ばし、いやらしくしごき始めました。

「加奈先生、僕がおしっこしてたの見てたでしょ」と訊くと、「いやっ」と言って否定しない加奈先生。
さっきまで、互いに社会的な仮面を着けて教育論を語り合っていたのに、今では双方、ただの性欲をむき出しにした獣になっていました。

加奈先生をベッドにお姫様抱っこで連れて行き、下半身をむき出しにさせると、かなり抵抗するなか、組み敷いて、野ションをしたあそこと、さらにお尻の穴まで丹念に、かつ欲望むき出しで舐め回しました。
最初は嫌がっていた加奈先生ですが、僕の懸命なしぐさに愛情を感じたのか、目をうるうるさせながら、僕に抱っこをせがんできました。

怒張した肉棒を加奈先生の中に埋め込み、静止させたまま、加奈先生の顔を直視しました。最初は恥ずかしがっていた加奈先生ですが、やがて、子どものような顔になって、唇を突き出してキスをせがんできました。

それぞれの「おしっこ」の姿、音が、お互いの距離を縮め、愛をはぐくむきっかけとなったお話でした。
再来月、加奈先生と僕は結婚します。